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Culture

SNSとは"重み"が違う!? 「石の文書」から紐解く中国文化

日本各地の観光名所で目にする石碑。歴史に名を残す人物の生誕の地や、歴史上重要な事件や施設があった場所を示すもの、その土地にゆかりのある俳句や短歌が刻まれたものなどがよく見られます。

でも、中国の寺院や道観(道教の宗教施設)にある石碑は、先に挙げたような私たちにとって馴染みのある石碑とは少し違っています。石に刻まれているのは、公文書。政府が発給した紙の文書を、そのままの姿で「石の文書」として石碑上に再現しているのです。一体なぜ、紙の文書をわざわざ石に刻んで忠実に再現しているのでしょうか……?

今回お話を伺うのは、10~14世紀の中国で作られた「石の文書」について多くの研究実績を持つ、文学部総合文化学科准教授の小林隆道先生。小林先生のお話を通して、当時の中国の政治や社会について知るだけでなく、情報伝達のあり方や言葉の重みについて改めて考えました。

PROFILE

小林 隆道さん総合文化学科 准教授

早稲田大学大学院文学研究科史学(東洋史)専攻博士後期課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員DC・PD、北京大学国際漢学家研修基地訪問学者、ケンブリッジ大学東洋学部客員研究員、京都大学人文科学研究所特定助教などを経て、2016年4月神戸女学院大学に着任。専門は中国史。著書に『宋代中国の統治と文書』(汲古書院、単著)、『宋代史料への回帰と展開』(汲古書院、共編著)などがある。

さまざまな官公庁をめぐる“循環器系”としての公文書

小学生の時に観た大河ドラマをきっかけに、日本の戦国時代にハマったという小林先生。そこから幕末・維新期や中国の三国志へと興味が広がっていき、高校では世界史の面白さにもふれたことで、ますます歴史好きに。大学では中国史を専攻し、特に1014世紀(宋・金・元代)を対象として研究に取り組んできました。

「中国の歴史って、長いですよね。その長い歴史をあえて2つの時期に分けるとしたら、唐と宋の間で分けるという学説があるんです。20世紀初頭に日本の学者が提唱した“唐宋変革論”と呼ばれる学説で、のちに世界中の東洋史研究者たちの研究の下敷きとなっています。私もこの学説の影響を受け、中国の大変動期であった宋の時代に注目しました」

907年に唐王朝が滅亡し、分裂時代を経て960年に成立した宋王朝。科挙(※)が本格的に運用され政治の担い手が貴族から官僚へと代わり、皇帝が最終的な決裁権を有する君主独裁制が整備されるなど、政治や社会のあり方が大きく変化した時代です。小林先生は、この時代の政治・制度・社会について、特に公文書に着目して研究を進めてきました。

※科挙:官僚(政治家)登用のための資格試験のこと

「公文書は、統治機構での情報伝達に使用されます。その際、上級あるいは下級部署から受け取った文書の文章を、発給する文書内に引用して文書を作成するという特徴があります」

文書の文章を引用するというのは、現代で言うと、メールの履歴を残した状態で返信したり、Twitterで引用リツイートをしたり、というイメージでしょうか?

「今のメールのように、履歴をそのまま残す場合もあれば、自分が書く文章の中に一部を取り込んでしまう場合もあります。一部を引用して書いたものを、さらにまた誰かが引用して、引用・被引用関係が何重にも重なっていくので、どんどん大変なことになりますが(笑)。でもそこは職人芸でうまくやるという感じですね」

何重にも引用が重なっている文章は、書くのも読むのもかなり大変そう……。小林先生はどうやって読み解いていくのでしょうか。

「文書の最初と最後には必ず定型句があるので、それを頼りに分解していくと、どの部分が誰から誰に宛てた文章なのか明らかになります。つまり、情報伝達の経路がわかるわけですね。この経路の痕跡が、公文書の正当性あるいは正統性を担保するんです」

1件の公文書から解読できる文書伝達経路。右図の矢印が文書の伝達方向を表す。公文書が各官庁をぐるぐると巡っているのがわかる

公文書自体に、どのような官庁を経て発給されるに至ったかという自らの経歴が記されていて、それを見れば正当な手続きを踏んでいるかどうかが分かるということですね。

「このように公文書は、必要な情報を各官庁で受け渡し、あるいは受け取りながら中央・地方の制度内をぐるぐると巡ったわけです。まさに、血液が人体の各組織を巡り必要な物質をやりとりして生命を維持するのと同じです。そこで、私は公文書を“制度の循環器系”とみなし、“活きた”制度史を叙述してきました」

「体内を循環して巡る血液は、体外に出ると凝固して固くなりますよね。同じように、制度内を巡っていた公文書も、最終的に寺院や道観などの民間に発給され外部に出て、その際に凝固した姿が“石の文書”であると考えています」

「石の文書」は見た目が大事!? 書体が意味するものとは

公文書の中でも、小林先生が特に興味を抱いて研究を進めてきたのは「石の文書」。紙の公文書を石に刻み、石碑として再現したもので、その多くは寺院や道観といった宗教施設に対して、政府が何らかの権利を付与・保証する文書だと言います。

「政府が恩典として石を与える場合もありますが、そうでない場合は宗教施設がわざわざ石を購入し、一文字いくらで費用をかけて文字を刻みます」と小林先生。なぜそこまでして石に刻むのでしょう……

「主に2つの理由があって、1つは、政府公認であることを地域の人々に対して誇るため。もう1つがより重要で、政府公認であることを政府に対して示すためです。前近代中国において、宗教を統制することが政府にとって重要な統治政策であったため、宗教施設にとって、もし政権が代わったとしても弾圧されないようにすることは極めて重要でした。そのためには、正当性(正統性)が記された公文書はうってつけだったんです」

清代・中華民国期の「石の文書」を収集して展示してある蘇州文廟《清代工商経済碑廊》。「受領した公文書を残そうとした人々の熱意が伝わってきます」と小林先生。中国では王朝時代が終わっても、20世紀初頭まで「石の文書」をつくる文化は残っていた

12世紀以降の石の文書には、紙の文書の内容だけでなく、官印や書体、「とめ・はね・はらい」といった筆跡までも再現されています。なぜここまで忠実に再現する必要があるのでしょう。再現するための技術がこの時代に発達したということでしょうか。

「書道作品を石に刻んで残すことは古くから行われてきたので、特にこの時代に技術が発展したというわけではありません。宋よりも前の時代にすでに、書道作品が石の上で精巧に再現されています。ですが、11世紀までに作られた“石の文書”においては、書体や筆跡まで復元しようとした形跡がありません。12世紀に入ってから書体を復元しようとする傾向が見られるのは、当時の皇帝である徽宗(きそう)の政治と関連していると私は考えています」

徽宗とは、宋の第8代皇帝。文化芸術を保護・奨励したことで知られ、自身も書画の才能が秀でていたため「風流天子」と呼ばれています。この呼び名はある種の揶揄で、芸術に夢中になって政治をおろそかにしたという意味合いが込められていました。しかし近年の研究では、徽宗皇帝の政治が見直されていると小林先生は語ります。

「近年では、徽宗皇帝の書画は文化活動であると同時に、彼にとっては政治だったという論が出てきています。たとえば、徽宗皇帝の書は非常に特徴的で、その書体は“痩金体(そうきんたい)”と呼ばれていますが、徽宗皇帝は芸術作品だけでなく命令文書にも痩金体を用いました。つまり、痩金体という書体が、徽宗皇帝による命令であることを担保したわけです。書体が痩金体であることに価値が見いだされた命令文書は、痩金体を精巧に復元して、石に刻まれるようになるのです」

なるほど、書体に価値が見いだされたからこそ、その書体を石の上に忠実に再現するようになったんですね。でも、徽宗皇帝はなぜ、わざわざ独自の書体を使ってまで自分で命令文書を出そうとしたのでしょうか。

「君主独裁制とは、皇帝が好き勝手に政治をするという意味ではなくて、科挙によって選ばれた官僚たちが練り上げてきた意見を、最後に皇帝が裁可するという政治の形です。この体制だと、皇帝自身の考えを反映する余地がない。しかも、徽宗皇帝の統治時代は、宋王朝が始まって150年ほど経っているので、官僚制度の腐敗で国政も混乱しつつあり、皇帝はこれまで以上に、思うような政治ができない状態でした。だから官僚制度の外で、皇帝が自身の考えを直接命令文書として出す必要があったとされています」

腐敗した組織を通さずトップが直接命令を出し、その命令文書が皇帝直々のものであることをひと目で明らかに示すために、独自の書体が役に立ったんですね。

「書体を精巧に復元するにはよりお金がかかったでしょうから、価値が見いだされなければわざわざ精巧に復元しませんよね。私が扱っている公文書は皇帝直筆のものではありませんが、徽宗期に石碑をめぐるそのような風潮が広まった結果、皇帝のことば“勅”の字を記した政府が発給する公文書も宋朝の権威を体現するものとして認識され、その書体が石の上に忠実に再現されるようになったと考えられます」

たしかに、公文書の書体を見ると荘厳な感じを受けます。その荘厳さが公文書に記された自分たちの権利を守ってくれることを、石に刻む人たちは期待したのでしょう。

「書体や官印などを忠実に復元する“石の文書”は、宋代、特に徽宗期の政治という中国史上においても特異な歴史経過を契機として出現したものであり、歴史的に形成されたものです。そして、そのような“石の文書”の作成・設置は20世紀初頭まで続きます」

それだけ「石の文書」が中国の社会や文化の根源に基づいたものだった、ということですね。「石の文書」が中国の社会や文化を理解する鍵となることがわかります。

アナログもデジタルも変わらない“書くこと”の本質

ここまで中国の「石の文書」についてお話を伺ってきましたが、近隣諸国にも「石の文書」は存在するのでしょうか。

「他の研究者にも尋ねてみたのですが、中国のように文書の外観をそのまま石の上に再現しようとしたものは、日本や朝鮮半島では見られないようです。中国だけで発達した理由は、これまでお話したように、書の作品を刻石してきた歴史や徽宗皇帝の政治などさまざまな背景がありますが、漢字という文字の成り立ちが、もともと“刻む”ところから始まったことも関係しているかもしれません」

中国の人々に見られる「書くこと」「残すこと」への強い思いを、小林先生は「書くことに“取り憑かれた”中国」と表現します。

現在は「石の文書」だけでなく、ひろく文物を研究対象として研究に取り組み、特に政治から距離をおいて生活した「隠逸(隠者)」の存在に注目しているとのこと

「書くことで記録に残そう、あるいは、書かれることで記録に残ろうとする思いは、前近代の中国では特に強いように感じます。それは文字を書くことが、政治そのものだったからではないでしょうか。極端な話をすれば、10世紀以降、文字が書けるように勉強する最大の理由は、科挙に合格して官僚(政治家)になるためですから」

彼らの書くことへの執着や、石の上で再現してまで永遠に残したいという強い願望は、現代のデジタル社会とは真逆のようにも思えます。前近代の中国と現代の日本を比較するとしたら、小林先生はどのようなことを感じるのでしょうか。

「石碑は、ある地点に立てられ、そこに記された情報を長期間にわたって公開し続けますが、情報の伝達範囲が限られるところに特徴があります。そこに行かないと見られない。一方、現代のデジタル・メディアに記された情報は、まさに世界中に瞬時に届けられる。でも、けっこう簡単に失われてしまう。一晩かけて仕上げたファイルのデータが消えてなくなってしまい、苦い思いをしたことがあるのは僕だけではないと思います(笑)。そういうところは真逆ですよね」

「そう考えると、メールやSNSといったデジタル・メディアの言葉を石に刻まれた言葉と比べると、一見重みがなさそうに感じます。でも、軽い気持ちでSNSにつぶやいたことが、後々まで残ることもありますよね。紙でも石でも、インターネット上でも、言葉をある“もの”に定着させる行為という意味では同じですから、後世というとちょっと大げさですけど、後世の人たちからどのように見られるか、意識せざるを得ないと思います」

確かに、デジタルタトゥーという言葉もあるくらい、デジタル上の言葉も意外と残るもの。石に刻まれた言葉は重い、デジタル上の言葉は軽い、と単純に言えるものではなさそうです。現代でも言葉を発する時には石に刻むくらいの気持ちで…と思わず言いたくなるほど、言葉の持つ重みを改めて考えてしまいました。

最後に小林先生は、「僕自身も、学生時代に書いた論文を今読むと、もう最悪ですよ(笑)。何もわかってないなと恥ずかしくなってしまいます。当時の指導教授から、何十年後まで残るから、よくよく考えなきゃいけないと言われた意味を今更ながら実感しています」と茶目っ気たっぷりに話してくれました。先生でも過去の文章を振り返って恥ずかしくなることがあるんだと思うとちょっとほっとしつつも、今一度、言葉の重みを胸に刻んでおきたいと思います。

(ライター:藤原 朋)

もっと学びたいあなたへ

説き語り 中国書史

石川九楊著
新潮選書発行 2012

長い年月をかけて進められてきた中国の書の展開を、書家の石川九楊さんが一般向けに解説した本。著者による「筆蝕(ひっしょく)」という独特の概念を通して、中国の書について理解を深められます。「書を理解するには時代背景も知る必要がありますが、この本では当時の政治体制なども並行して解説しているので、中国史をあまり知らなくても読み進めていけると思います」と小林先生。書道作品の写真も多く掲載されていて、初学者でも手に取りやすい一冊です。

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