多様性の時代だからこそ知っておきたい。女性学を学ぶということ
3月8日は国際女性デー。1904年、ニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となり、「広く女性の社会参加を呼びかける記念日」として、1975年に国連によって制定されました。 今回は、国際女性デーにちなんで、神戸女学院大学...
ワークライフバランスの重要性が叫ばれて久しい昨今。ワークライフバランスに代わる新しい概念として、近年はワークライフマネジメント、ワークライフインテグレーションといった言葉も耳にするようになり、多くの人たちが自分らしい働き方や生き方を模索しています。
仕事も家庭も大切にしながら、趣味やライフワークの時間も充実させたい。そう思っていても、実際は仕事と家庭の両立に悩んだり、忙しくて自分の時間をなかなか持てなかったりして、モヤモヤした気持ちを抱えている人が多いのではないでしょうか。
今回お話を伺うのは、語学業界でキャリアを築きながら、自身のライフワークである能楽でも多彩な活動を行っている後藤あすかさん。二児の母でもあり、常に仕事・家庭・ライフワークに全力を尽くしている後藤さんのお話から、やりたいことを諦めず、自分の「好き」に向き合っていくためのヒントを探ります。
神戸女学院大学卒業後、ベルリッツ・ジャパン株式会社入社。二度の産休・育休をはさみながら、マネージャー職や異文化セミナー講師、法人営業を経験後、退職。現在はビズメイツ株式会社で法人営業を担当。大学時代に出会った能楽に魅了され、観世流の門下生として、その魅力を発信する活動にも注力している。
神戸女学院大学を卒業後、ベルリッツ・ジャパン株式会社の語学カウンセラーとしてキャリアをスタートした後藤さん。その後、ビズメイツ株式会社に転職し、現在はオンラインビジネス英会話サービスの法人営業を担当しています。
語学業界でキャリアを積んできた後藤さんが、最初に英語に興味を持ったのはいつ頃だったのでしょうか。
「英語と出会ったのは10歳の時です。家族で行ったニュージーランド旅行が、私にとって初めての海外旅行でした。この時の経験が、私の人生を決定づけたんです」
飛行機で後ろの席に座ったのは、ウィーンに住むヤスミナちゃんという同い年の女の子。彼女はドイツ語、後藤さんは日本語しか話せませんでしたが、あっという間に仲良しになったそうです。別れ際に、後藤さんのお母さまがヤスミナちゃんの住所を聞いたことから、帰国後に手紙のやり取りが始まりました。
「ヤスミナちゃんに手紙を書きたい一心で、共通言語になる英語を勉強したいと思って。母が家庭教師の先生を見つけてきてくれて、自宅で英会話レッスンを受け始めました」
レッスンによってどんどん英語が好きになっていった後藤さんは、将来は留学したいと思うように。そこで、「ただ英語をしゃべれるだけでは、海外に行った時に自分のアイデンティティが揺らぐんじゃないか」と考え、15歳で日本舞踊を習い始めたそうです。
15歳でそこまで考えるなんて、と驚いていると、「おかしな15歳ですよね」と笑う後藤さん。その後、海外の高校に進学したいと、UWC(ユナイテッド・ワールド・カレッジ)を受験しますが、残念ながら不合格。それなら国内で海外留学生と交流しようと、AFSという国際教育交流団体が主催するワークキャンプに参加しました。
「グループごとに出し物をすることになって、私が日本舞踊を教えて、アメリカ人の子がギターを弾いて、『さくらさくら』をみんなで踊ったんです。アメリカ、ドイツ、ロシア、台湾といった世界各国から来た留学生に、自分の国の文化を教えて文化を融合して発表できたことが、すごく楽しくて。私はこういうことが好きだな、向いているなと思いました。それで、『言葉と文化』を自分の両軸にしていこうと決めたんです」
「言葉と文化」という自分のテーマを見つけた後藤さんは、文化を幅広く学びたいとリベラルアーツ教育を行っている大学を探し、神戸女学院大学の総合文化学科に進学しました。
大学でリベラルアーツを学び、日本舞踊のお稽古にも勤しんでいた後藤さんは、ひょんなことから自身のライフワークとなる能楽に出会います。
「20歳の時、日本舞踊で大きな舞台に初めて立ちました。その舞台を見に来てくれた大学の友達が、『あすかちゃん、たぶん好きだと思うよ』と神戸女学院の能楽部の会に誘ってくれたんです。初めての能でしたが、観た瞬間に『これだ!』と思いました。日本舞踊の舞台もすごく楽しかったんですけど、日本舞踊は声を出せないんですよね。初めて聞いた能の謡(うたい)がものすごい迫力で、『私も謡いたい!』と思ったんです」
後藤さんは能楽部への入部を即決し、お稽古をスタート。初めて見た本物の能舞台での公演は、今でも忘れられないそうです。
「『道成寺』という演目でした。落ちてくる鐘の中にシテ(主役)が飛び込む『鐘入り』という最大の山場はすごい気迫で。鼓や笛も、指揮者がいるわけでもないのにどうやって成り立っているのかなとびっくりしましたね。わからないことだらけでしたけど、私の人生で一番衝撃的な出会いでした」
20年ほど前のできごとを、まるで昨日のことのように詳細にいきいきと語る姿から、後藤さんがこの時に受けたインパクトの大きさがひしひしと伝わってきます。
「でも、周りを見渡すと、観客の皆さんがご年配の方ばかりで、なんで若い人や外国人がいないんだろうと思って。これから世界に行く若い人こそが自分の言葉を使って、日本の美しい文化を世界に広めていけるようにしなければいけないと思ったんです。そして日本文化に興味のある外国人にも紹介しなければと。勝手な使命感ですね(笑)」
そんな使命感に駆られた後藤さんは、「能楽にもっと打ち込みたい」と、なんと大学を休学。平日は能楽の稽古、土日は能楽堂で受付のアルバイトという、能楽にどっぷり浸かった毎日を過ごすようになります。
その後、復学して無事卒業の時期を迎えた後藤さんは、「能を世界に広めていくには、どんな仕事をすればいいんだろう」と考えた結果、「能楽師になるしかない!」と師匠に内弟子修行を申し込んだそうです。
「能楽師は90%以上が男性なのに、我ながら無謀ですよね。師匠は1週間ほど考えてお返事をくださって、『内弟子修行を経てプロになったとしても、女性がプロとして食べていける保証はできない。だから内弟子はおすすめしません。でも、そんなに能が好きで世界に広めていきたいなら、仕事を持って、働きながらお稽古したらいかがですか』と言われて。そういうやり方もあるのか!と(笑)」
「せっかく仕事をするなら、世界に能楽を広めるために全世界に拠点がある会社にしよう」と、後藤さんは語学カウンセラーとして当時世界72か国に拠点をもっていたベルリッツに就職。さらに、「内弟子修行に入っていたらできなかったことをしよう」と考えたと言います。
「内弟子修行は8年から10年ほどかかるので、その間にできないことって、結婚と出産ですよね。じゃあそれをしようと思って、ちょうど入社3年目の頃に夫に出会ったので結婚しました。ありがたいことに2人の子どもにも恵まれました」
明快な理由でテキパキと自分の人生を前に進めていく後藤さんのお話を聞いていると、こちらまで気持ちが軽やかになっていくようです。
仕事と子育ての両立について尋ねると、「ベルリッツには働くママが多くいたので、子どもを産んで働くのが当たり前の文化だったんです。第一子出産の前に実家の近くに引っ越して、母に子育てをサポートしてもらいました。子どもたちが育ったのは母と保育園のおかげですね」と笑顔で答える後藤さん。困った時は躊躇なく周りの手を借ることも、両立のコツなのかもしれません。
そんな充実した毎日を送っていた後藤さんに、大きな試練が訪れます。夫が大病を立て続けに患ったのです。
「入院中は、朝から子どもを保育園に送り届けて、病院に面会に行って、そのあと出社するという、毎日が運動会みたいな生活でした。病状は深刻でしたが、二度とも奇跡的に手術がうまくいって、後遺症が残ることもなく回復したんです。人が生きる力ってすごいなと思いましたね。私が能楽に感じていた生命の躍動を、夫は自分の命をもって示してくれた。そんな経験をして、“人間はいつどうなるかわからない、生きているうちに能楽のお稽古に戻らないとといけない”と思ったんです」
就職した時に、「仕事に慣れるまでは」とお稽古を中断した後藤さん。出産や子育てもあって、なかなかお稽古には戻れていない状況でした。
「その頃、ベルリッツではマネージャー職だったのですが、自分が在籍する梅田校の売上が世界一になったら能楽を再開する、という目標をひそかに掲げていました。夫の病状が良くなってきたタイミングで、ちょうどこの目標も達成できたんです」
こうして後藤さんは、数年ぶりに能のお稽古を再開。その後、ベルリッツでの法人営業の手腕を買われ、ビズメイツに転職して現在に至ります。
現在は仕事をしながら、能楽のお稽古を月に2、3回続けている後藤さんですが、自身のお稽古や舞台だけでなく、門下生の一人として能楽の魅力を伝えるためにさまざまな活動を行っています。
例えば、東京にある武蔵野中学高等学校では、リベラルアーツ教育(LAM)の一環として、能楽師を招いた能楽ワークショップを企画・運営。神戸の湊川神社では初心者の為の能楽の謡を奉納するワークショップを企画運営し、京都・福知山の元伊勢内宮皇大神社では、地域の農家さんと連携して稲穂と能楽を神社に奉納するというコーディネーションを行っています。
「能楽に関する企画やコーディネート、ファシリテーションは、ベルリッツ時代からやってきたことです。これからもライフワークとして、ずっと続けていきたいですね。皆さんのハブとなって、能楽の魅力を紹介していくことが私の役割だと思っています」
ワークショップを始めたきっかけは、ベルリッツが大阪府立箕面高校と提携してグローバル教育を展開する際、お昼休みに当時の日野田校長から高校生に能楽のプレゼンテーションをする機会をもらったことなのだとか。
「言葉と文化を両軸にしたい、若い人たちに日本の文化を伝えていきたいという思いは、21歳の時からずっと持っていますから。英語は約30年、能楽はブランクがありますが約20年やってきて、やっと少しずつ統合してきた気がします。40歳までが第1章で、41歳になった今は第2章が始まったばかりなんです」
「人生100年時代と言われているので、たぶん第3章もありますよ」と楽しそうに話す後藤さん。第2章はどんな章になりそうですか?と尋ねると、このWebサイトにもなぞらえて、こんなふうに答えてくれました。
「テーマは『わからないから、おもしろい』なんですよ。能をずっとやっていますけど、いまだにわからない。わかるから楽しいんじゃなくて、わからないから楽しいんです。だからこれからも、仕事と家族とライフワークの三つ巴で、楽しんでやっていきたいですね。仕事だけでもライフワークだけでもなく、“お母さん”という役割があることも私にとっては大切なんです。子どもたちに教わることばっかりですよ」
コロナ禍で能のお稽古を休んでいた時は、息子さんが「謡っているお母さんはかっこいいと思うで」と声を掛けてくれたといいます。
「お稽古を休んで家でずっとオンラインで仕事をしている姿を見て、元気がないなと思ったんでしょうね。ちゃんとやりたいことをやれと、息子に背中を押されました」
産休中など能のお稽古から離れている時期も、家ではずっと謡の練習をしていたという後藤さん。好きなことに没頭する姿を見せることで、家族の理解が得られやすい土壌ができたのかもしれません。
仕事も家庭もライフワークもないまぜにしながら前に進んでいく後藤さんのエネルギーは、周りもいつの間にか巻き込んでいきます。その巻き込み力には、何かコツはあるのでしょうか。
「まずは自分が楽しむことじゃないですかね。楽しんでいたら、『なんか楽しそうですね』って言われるから、『楽しいですよ。一緒にやりますか?』って(笑)。私の場合は能楽ですが、それぞれが好きなことをやればいいと思います。私が外部講師として11年間担当している神戸女学院のキャリア授業では、自分の好きなことについてディスカッションしてもらうんです。自分が好きなことに気づいて言語化して、行動に移すことが大切。好きなことが仕事につながってもいいし、別に仕事にしなくてもライフワークとして続けていったらいいんです」
仕事でもライフワークでもいい。自分の「好き」を大切にして、続けていくこと。そんなシンプルな行動から、自分らしい生き方が見つかっていくのかもしれません。後藤さんのお話を聞いていると、「やりたいことをやっていいんだよ」と力強く背中を押してもらったような気持ちになりました。
(ライター:藤原 朋)
世阿弥 著 観世清和 編訳
PHP研究所 2013
世阿弥の能楽論『風姿花伝』を、観阿弥・世阿弥の嫡流である観世宗家・観世清和氏が訳した本。語りかけるようなわかりやすい訳文で、『風姿花伝』の真髄を伝える一冊です。「能をよく知らない人にとっての入門書となるだけでなく、最高のビジネス書であり教育書です」と後藤さん。「初心忘るべからず」「秘すれば花」といった有名な一節をはじめ、ここに記された言葉は、今を生きる人たちにもさまざまな気づきを与えてくれそうです。
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